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学校林について5(南高学校林100年の歩みより)

100年の軌跡

5 学校林の取り組み 戦後

  終戦後、学校林は新たなスタートを切ることになった。前述のように伐採・供出がなされ、カラマツ、トドマツの林地があわせて25haが残るのみであり、その他はほとんど笹藪であった。そこで新たに植樹計画を立て、昭和20年に10.42haのカラマツを植栽した。

  その後、年によって面積の大小はあるが、ほぼ毎年のように計画的に植樹がなされてきた。樹種は坑木としての需要があり、だいたい30年で生産収入が得られるという点から、基本的にはカラマツであった。トドマツ、エゾマツは60年以上を見込まなければならない。だが、カラマツは湿地には向かないので、トドマツを植栽した区域もある。

  昭和35年時点で、カラマツ68.6ha、トドマツ22.33haが植栽されている(大正14年以降の植林を含む)。また、昭和22年には学校林西側入り口近くに、軍払い下げの三角兵舎を利用して15坪の山小屋を建設した。

  ここで学校林消滅の危機があったことを記しておこう。戦後、外地からの引揚者対策として、自作農創設特別措置法による未墾地買収が、石狩支庁によって計画された。学校林は北および南の隣接林地とともに、買収される寸前にまでなった。だが、植林委員が本校の教育において果たして来た学校林の役割を説明し、卒業生らの運動もあって、買収を免れることになった。

  この特別措置法によって、北側隣接地は石狩支庁に買い上げられ、その新入植者に土地と立木が売り渡された。ところが昭和23年、立木伐採者が境界を誤って、学校林の一部を伐採した事件が起きた。ことを処理するために、当時の北浦校長、井上教諭は雪の中を腰まで濡れて現地調査を行い、有利で円満な解決に導いたという一幕もあった。

  昭和31年8月17日、財団法人南高等学校林が設立された。所有権が歴代校長から財団に移り、名義変更の手続きが簡素化され、校長が変わるたびに譲渡税で経費がかさむこともなくなった。またこの時から、植林地から学校林へと名称が変更された。財団設立を記念し、昭和33年6月1日、学校林の中央よりやや東南のところに、エゾマツ30本を記念植樹した。

  財団は定款の第3条で、「この法人は、北海道札幌南高等学校生徒の教育活動としての植林思想及び勤労精神を涵養し、併せて心身の練磨を通じ一般社会に植林思想を普及すると共に、同山林より得たる収益によって同校及び地域社会の教育発展に資することをもって目的とする」と、その設立の目的を謳っている。山田幸太郎校長の「造林育人」の理念が、ここに改めて結晶していると言えるだろう。

  財団は理事、評議員からなり、理事長は校長が務める。財団の基本財産を作るために、昭和32年9月、大正14・15年に植栽したカラマツ12haを立木のまま4,808,000円で売却した。うち400万円を基本財産とし、残りの金額と利息で財団を運営することになった。これにより、戦前に植栽したカラマツはなくなった(昭和8年以降、昭和10年代に植えたのは、すべてトドマツであった)。

  明治44年以来続けられてきた学校林の活動は、社会的にも評価され、戦後幾度も表彰されてきた。主なものは囲みのとおりである。

  昭和36年、支笏湖畔モーラップで開かれる北海道植樹祭に、天皇、皇后両陛下が来道されることになった。50年に一度の機会であり、学校林にお立ち寄りいただく光栄を賜りたいと、役員、同窓会が奔走し、町村金五北海道知事に陳情書を提出した。知事もこれに応えて、自ら植樹関係者とともに学校林を視察されたが、残念ながら国道36号から片道7.5キロもあり、その所要時間がとれないこと、また警備の手配が困難であることから、実現しなかった。

  しかし、昭和36年5月22日、植樹祭の前日に小野謙次校長が、北海道学校植林の現状を陛下に奏上する光栄に浴した。このとき本校学校林の概要を印刷し、献納した。翌日、支笏湖畔での植樹祭には、小野校長、小野壽満男(職員代表)、3人の生徒代表が式典に参列した。一人3本のアカエゾマツを記念植樹した。

  同年6月4日、天皇陛下お手植えのアカエゾマツと同じ苗圃で育成された苗300本の払い下げを受け、役員・教職員・PTA・同窓生有志・生徒会代表が、学校林東口入り口に植樹した。その傍らに「植樹大会両陛下御来道記念植樹 昭和三十六年六月四日」と記した標木を建てた。

  昭和46年、林道を作らないかという話が札幌市森林組合からあり、役員会で検討した結果、施行することに決定した。昭和47年9月13日、幅員4m、延長1,610mの一般林道札幌南高等学校線が竣工した。愛称は山田林道である。

  昭和51年、「山田幸太郎先生顕彰事業」が、六華同窓会によって行われた。事業の柱は二つあり、一つは記念誌『永魂』の発行、もう一つが石碑の建立であった。石碑は山田林道沿い、昭和33年のエゾマツ記念植樹のところに建立された。土台間口2間、奥行き1間余、地上の高さ7尺余で、表には「造林育人」と刻まれている。除幕式は同年10月16日に執り行われた。

  平成2年には、翌年に開催されるユニバーシアード冬季札幌大会の距離競技コース(札幌市白旗山競技場)の一部に、学校林が選ばれた。コース作成のために一部用地が伐採され、その樹木を札幌市森林組合に売却した。このコースは国際公認コースとして認定されている。

  戦後、学校林に携わり、発展に力を尽くした多くの人がいる。植田木材株式会社の社長・会長を務めた植田英武氏(一中16期)には、伊藤豊次氏の遺志を継いで、後進の指導に当たっていただいた。また、伊藤組専務の藤田重清氏(一中35期)は、戦後の学校林の取り組みにおける実務上の中心であった。藤本栄松氏(一中43期)は、道庁林務部に長く勤務され、学校林の育成事業に多大な尽力をいただいた。

  教職員では、昭和25年から52年まで在職した小野壽満男教諭(中35期)が、昭和33年まで井上教諭と辛苦をともにし、その後は教職員の中心となって活動した。昭和38年から平成5年まで担当した中野務教諭も、1学年20クラスという時代に、多忙を極めながら、学校林事業に奔走した。

  戦後、一貫して学校林に尽力いただいたのが、有明の川瀬菊太郎氏である。植栽、下草刈り、枝打ち、火入れ、整地、見回りなど、ほとんどの作業に従事していただいてきた。その御労苦に少しでも報いるために、70周年、90周年の際に、感謝状を贈呈している。また、地元の天下秀作氏を、昭和23年から植林地管理人として嘱託した。昭和27年に、学校林の植林に尽力したことで、北海道知事から表彰されている。

昭和25.4.1 文部大臣賞
25.10.20 北海道学校植林コンクール高校1位
26.5.26 全日本観光連盟学校林表彰会会長賞
27.1.25  北海道学校植林コンクール高校2位
28.2.23 北海道教育委員会教育長賞
29.2.5 北海道学校植林コンクール高校1位
31.1.31 北海道営林局連絡協議会長賞
北海道学校植林コンクール優秀賞
32.8.8 国土緑化推進委員会より感謝状
東北北海道国土緑化推進協議会会長賞
35.1.28 道知事、道教育長、道緑化推進委員会長より表彰状

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1 金融機関名 北海道銀行
2 支店名 行啓通支店
3 支店コード 103
4 口座番号 0158575
5 口座名義 一般財団法人北海道札幌南高等学校林理事長秋山孝二
6 口座名義(カナ)
ザイ)ホッカイドウサッポロミナミコウトウガッコウリンリジチョウアキヤマコウジ

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